【第5話】全く売れない
Z出版の教えを受けたり、電子書籍関連セミナーに参加したりしながら、みのりと野中は、とりあえず、何か電子書籍を作ってみることにした。全く新しい書籍を企画からはじめる時間的余裕がなかったので、既刊の書籍を電子化することにした。内容は、世界文化遺産にも登録され世界的にも人気のある富士山関連の小説・エッセイ・詩などを集めたもので、既刊とはいえ、実際には絶版となっていたものだ。
- 富士山は国内はもちろんのこと海外からも人気が高い。
- 絶版となっていたが根強い復刊要望があった。
などの理由で、まずこれを電子書籍第一弾に選んだ。
電子書籍のフォーマットはいろいろあり、PDF形式が一番簡単そうではあったが、画面の小さなスマホで見ることも想定して、文字サイズが変えられるEPUB形式を選択した。EPUBは国際標準であり世界的に広く使われており、WEBページとの親和性も高い形式である。
野中は、映像関連の技術者であったが、鉄道の写真や動画の撮影、鉄道模型が趣味で、それらに関するブログを立ち上げていたため、WEBに関する知識はそれなりに持っていた。そこで、Z出版社からのアドバイスも参考にしながら、既刊コンテンツの原稿データを加工して、EPUB形式に変換した。
販売方法に関しては、紙の書籍のように取次にお願いするわけにもいかないので、ネット書店大手の「誰もが出版できる機能」である「ダイレクトパブリッシング」というサービスを利用して、販売ルートに乗せることにし、価格は紙の書籍の約1割引の1,900円とした。
みのりは、電子書籍プロジェクトが始まってからかなり忙しくなったし、いろいろ問題も発生したが、ここで弱音をはいて久保にバカにされるのも嫌だったので、がんばって電子書籍の作成を進めていた。作業に没頭していて、気が付くと真っ暗な部屋でみのりのデスクだけが煌々としていることもあった。もっとも、スクールがある日は、早くあがる。野中のほうも、技術者気質を発揮して、いろいろ調査し、遅くまで作業している。少し忙しくなったので、最寄り駅の3つ手前の駅では降りずに、1つ手前の駅から帰宅しているようだ。
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みのりと野中のがんばりによって、プロジェクト着手から3ヶ月後、超時空社にとって第一弾となる電子書籍が発売された。
最初に購入したのは、社長だった。
その次はZ出版の岡本。
3人目はK書店の店長さん。
4人目は……なかなか売れない。
結局、発売からひと月で売れたのは全部で5冊。
知り合い以外の購入者は2名だけということになる。
みのりは、がんばっただけに落胆も大きかった。
「安定して人気のある富士山関連だし、もうちょっと売れると思ったんですけど」
「そうだね。」
「わたし的には、いい本だとは思うんですけど。告知が足りなかったんですかねえ。」
「そうかもしれないね。もっとも、私としては、これまで映像関連技術ばかりをやってきたけれど、電子書籍とかWEBとかの技術を詳しく知ることができて楽しかったなあ。」
お粗末なことに、紙の書籍のように、取次をとおして書店へ配本し、読者の目に触れるところに置いて買ってもらうという、これまで当たり前と思っていた販路が、電子書籍に関しては使えないということに、この段階になるまで誰も気付いていなかったのだ。
吉川社長は、鈴木営業部長・久保と相談し、電子書籍の価格を、紙の書籍の30%引きまで値下げする決断をした。しかし、その後も、販売状況は改善せずに、超時空社の社内では「電子書籍プロジェクトは大失敗だった」という論調が日増しに強くなっていた。
そんな中、社長は3人の部長と久保、野中・みのりをよび、対策会議を行なった。
はじめは、「プロジェクトの期間が十分になかった」ことや、「販路をよく検討していなかった」ことなどが反省点としてあげられ、比較的穏やかに進行していたが、久保の発言をきっかけとして、会議の雲行きが怪しくなってきた。
「やはり、営業部が主体的に関わるべきだったと思います。電子書籍の担当者に、売上やコストの意識がないからこうなってしまったのではないでしょうか」
「久保くん」と、鈴木営業部長は制止しようとしたが、思わずカチンときたみのりがすぐに反応した。
「売上やコストの意識くらいありますよ!」
「全くないとは言っていないが、秋山さんは営業経験がないし、野中さんも技術者としての経験はあるでしょうが、出版業界にこられたばかりだし」
「私と野中さんが悪いんですか!? 野中さんがどれだけ、電子書籍について調べたのか知っているんですか? 野中さんがいなかったら、絶対、電子書籍発売できてませんよ!」
「二人が悪いとは言っていないが、売ることに関しては我々がプロなんだから、もう少し我々の意見を聞いてもらうべきだったと。」
「営業部は、電子書籍だったら印刷も製本もいらないから安くできるだろうとか、安易なことを言うだけで、何も協力してくれなかったじゃないですか。むしろ、無理やり書店に連れていかれて、邪魔ばかりして」
「邪魔とはなんだ。こっちは売上あげるために必死に営業しているんだぞ。そっちが協力するのは当然だろう。」
みのりは、木村編集長のほうをちらっと見たが、編集長はみのりたちに任せっきりだった負い目もあるのか、困り果てたような顔をしている。
野中は野中で、何を考えているのかわからないが、うつむき加減で黙っている。
熱くなっているみのりと久保を制止して、社長が口を開いた。
「みんなの考えはよくわかった。今回の電子書籍プロジェクトは、よい結果が出なかったが、電子書籍に取り組もうと言ったのは私だ。一切の責任は私にある。野中君と秋山君はよくがんばってくれて感謝している。今後の進め方については、私のほうで考えて、近日中に伝えることにする。」
しかし、吉川社長としても、社内対立の根本的解決や、電子書籍プロジェクトをどうするか、そもそも経営をどう立て直していくかに関して、明確なビジョンはもち得ていなかった。
会議が終わるともう暗くなっていた。「あれだけ頑張ったのに、全く評価されないどころか、非難されるなんて信じられない。はやく辞めよう、こんな会社。野中さんは頭に来ないのかしら。」
みのりはさっさと退社して美容院へ行った。新しいヘアスタイルで新しい証明写真を撮って、転職活動に本腰をいれるのだ。
つづく
はじめから読む
ユアスト 江村さん
第1話は下記より御覧ください。
【第1話】超時空社