【第10話】社長の苦悩
翌週月曜日の夜、吉川社長は社長室で立花のホームページを見ながら考え込んでいた。
親しくしていたZ出版の廃業は、吉川社長の心に重くのしかかっていた。Z出版の社長はもともと父の友人で、家族ぐるみのつきあいがあり、吉川社長が超時空社を継いでからは相談に乗ってもらうことも多かった。もし父が健在だったら、Z出版の社長は逆に相談しにきていただろう。父はもういないが、悩みを一人で抱え込まずに、自分のところに相談しにきてもらいたかった。
出版関連の業界では、出版社、取次、書店、印刷会社など、どのプレーヤーも厳しい状況にある。
街からは個人の書店が消えつつある。出版社は小さなところはもちろん、大手でも業績が芳しくないという噂が聞こえてくる。
しかし、自分だけの力でこの苦境に立ち向かっていくことができるのか、そして、それが得策なのかわからなかった。
Z出版の社長に対して感じた「誰かに相談すればよかったのに」という思いが、自分自身に対しても跳ね返ってくる。
「やはり、彼に相談してみるか……。しかし、うちのような小さな企業にもとことんつきあってくれるのだろうか……。」
吉川はパソコンを閉じ、立花の名刺をしまうと、一人で立ち飲み屋に寄り心を静めてから帰ることにした。
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暖簾をくぐると、煙の充満した狭い店内に不似合いな男がいた。立花だった。ちょうどいいところに……という気持ちと、また仕事のことを思い出してしまったという思いが、胸のなかで揺れた。
立花を見かけるのは、屋上で初めてあったとき以来だ。これまで、経営コンサルタントというと、「美辞麗句を並べて、簡単なことを難しく説明する。」といったネガティブなイメージを持っており、あまり近づきたくなかったのだが、立花はきさくな雰囲気だったので、好感を持った。現状の厳しい経営状況を打破するために、藁にもすがりたいという思いがどこかにあったのかもしれないが……。
その後、実践的な戦略論について詳述した立花の会社のホームページを見て、その中で「戦略の基本」として位置づけられていた3C分析をみのりと野中に指示したのだった。
吉川が逡巡しているうちに、立花が屈託のない顔をして近づいてきた。
立花:ここ、いいお店ですね。秋山さんたちに教えてもらいました。
吉川:うちの社員、ご迷惑をかけてないでしょうね。大トラが多いから……。
立花:いえいえ。とても仕事熱心でしたよ。飲み屋でまで新戦略を練ってましたから。
吉川:そんなことまで、立花さんに?
立花:あ、ご心配なく。内容について詳しく聞いたわけではなくて、3Cの手法などを少しアドバイスしただけですから。
吉川:そうでしたか、申し訳ありませんでした。
吉川は、3C分析を指示したのはほかならぬ自分自身であったことを思い出し、バツが悪そうだった。
ビールで乾杯したあと、吉川は立花の顔を見た。
吉川:経営戦略というと、大企業のものというイメージでした。
立花:戦略を立てる専門部隊がいて、とか?
吉川:ええ。
立花:確かに、大企業では、労力をかけて戦略を策定する必要があります。戦略がなくては、このグローバル競争の時代を生き抜いていくことは不可能だからです。
吉川:はい。
立花:ただし、戦略が大事なのは中小企業でも同じです。
吉川:おっしゃるとおりだと思います。しかし、お恥ずかしい話、戦略専門の部門を置くような余裕はないのが現状です。
立花:いえ、それは当然だと思います。大企業と同じような戦略をたてることは中小企業にとっては不可能でしょうし、また、その必要もありません。
吉川:でも、先ほど、中小企業でも戦略は大事だと。
立花:ええ。大事は大事ですが、大企業のような戦略は不要です。身の丈にあった戦略を考えれば十分なんです。
吉川:身の丈にあった戦略ですか……。
意外そうな顔をした吉川社長に対して、立花はさらに意外な言葉を続けた。
「そして、戦略は中小企業のほうが使いやすいという面もあるんです。」
吉川:本当ですか?
立花:はい。戦略というのは、策定して終わりではありません。それを現場に伝えて、現場が実施できる環境を整えて、さらに実施結果を評価する、という各段階を経て、はじめて戦略が実行されたと言えます。
吉川:ええ。
立花:そして、各段階を考えてみると、最初の策定する段階では確かに中小企業は不利だと思います。しかし、それ以降の段階では、社長が直接現場に社員に戦略を伝えることができたり、現場の要望を反映した投資を行ったり、実施結果をリアルタイムで評価したり、むしろ中小企業のほうが得意と言ってもよいかと思います。
吉川:確かに、おっしゃるとおりかもしれません。
立花:つまり、最初の、戦略を策定する段階さえクリアできれば、中小企業もうまく戦略を活用できるわけです。
吉川:なるほど。しかし、戦略を策定すると言われても、どこから手をつけてよいかわからないというのが本音です。
立花:中小企業向けの手法としては、戦略をコンパクトにまとめやすい3C分析がおすすめです。あまり時間をかけずに、最大限に効果を出すための方法だと私は考えています。
吉川:なるほど。ですから、御社のホームページでは3Cを推奨されているんですね。
吉川社長は、そのような背景を知らずに、3C分析をしろとだけ指示してしまったことを少々反省したが、自分の指示があながち不適切でもなかったとの思いも強くした。
社長:今日は、大変貴重なお話をありがとうございます。ここは私にごちそうさせて下さい。
立花:いえいえいえ。
社長:いえいえいえいえ。
立花:それでは、お言葉に甘えまして。ごちそうさまです。
つづく
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ユアスト 江村さん
第1話は下記より御覧ください。
【第1話】超時空社