経営小説「わたしの道の歩き方」

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経営小説「わたしの道の歩き方」

published 2023.07.15 / update 2023.08.02

【第9話】飲み屋で3C分析?

「秋山さん、いらっしゃいませ!」

みのりと野中が、串揚げ屋の暖簾をくぐると、主人の元気な声が聞こえた。適当に挨拶しつつ、とりあえず、ビールとつまみを注文した。

野中:「なんか、他人事じゃないよね」

みのり:「はい。」

Z出版には、みのりと野中もずいぶん助けてもらった。親切に教えてくれ、超時空社の電子書籍を買ってもくれた岡本の顔が浮かんだ。あれだけ電話も少なく、静かだったのは、すでにほとんど仕事がなくなっていたからだったのか。

野中:「岡本さんたちは、どうするんだろう。転職先は見つかるんだろうか。」

みのりは、自分が転職活動で苦戦していることを思い出し、Z社の社員たちの今後を心配するとともに、自社のことも気になりはじめた。

みのり:「うちは大丈夫なんでしょうかねえ。」

野中:「私は、あまり会社の内情に詳しくないけれど、これくらいの規模の出版社はどこも厳しいのかもしれないなあ……」

2人がしんみりとぬるくなったビールのグラスを見つめていると、ガラガラと戸が開いた。

先日、みのりがビルの屋上で出会った立花だった。

みのり:あ、この間はどうも。

立花:近所にこんなお店があるなんて、やっぱり富士見ビルいいですね。

改めて野中を立花に紹介すると、一緒に飲むことにした。

立花:お仕事熱心ですね。飲みながら、経営戦略ですか。立花は、みのりが机に出していた経営戦略の本にさっそく気がついた。

みのり:あっ! 立花さん、こういうのご専門ですよね。ちょっと教えてもらえませんか。

野中:秋山さん、立花さんは飲みに来られたんだから……

みのり:お願いします!社長にやれって言われて困っているんです。教えて下さい!

立花:ははは、私にわかることであれば。

野中:すみません。私からもお願いします。本を読んで自分たちなりにやってみたのですが、いまひとつ要を得なくて。

2人は、情報漏洩にならない程度に、自分達の3C分析を立花に話した。立花はせっかく飲みに来たのにもかかわらず、嫌な顔をせずに聞いてくれた。

立花:なかなかよく検討されていますね。あいにく超時空社の詳細を知らないので、なんとも言えない部分は多いですが、大きく欠けている視点が2つあります。

ひとつ目は、顧客です。

野中:私たちが考えたのは、文学・紀行・歴史好きで比較的年齢は高め。司馬遼太郎の作品を好んで読んでいそうな感じです。適切ではないでしょうか?

立花:いえ。顧客像はかなり具体的に考えられており、非常によいと思います。その上で、もう少し踏み込んで、「顧客に関して、どのような価値を提供しているのか」ということを考えると、3C分析が、その名のとおり分析らしくなってきますよ。

みのり:「価値」ですか。

立花:顧客は電子書籍そのものを手に入れたいというわけではないですよね。紙の書籍だったら、鑑賞用やコレクションのために、もの自体を手に入れたいという人もいるかもしれないですけど。

野中:たいていの人は、それを読むために買いますよね。

立花:そうです。活字中毒の人は、読むこと自体で満足するかもしれませんが、多くの人はミステリーを楽しみたいとか、ビジネス書だったら知識を得て仕事に活かしたいとかの目的があるでしょう。

野中:その目的を達成してもらうことが、価値を提供するということになりますか?

立花:そうですね。

みのり:なるほど。本を読むのが当然って意識が強くて、あまり価値について考えたことがありませんでした。

立花:それと、単に書籍ではなく、電子書籍であるということもよく考えたほうがいいですね。楽しんだり知識を得たりするのであれば、紙の本でも全く問題ないわけですから。

みのり:なるほど。

そこに、ゴマ豆腐が出てきた。注文していなかったのだが、試しに作ったそうで、お店のサービスらしい。

それを食べたあと、立花が再開した。

立花:ふたつ目の大きなポイントは、自社です。

御社の強みは、低価格と文学性の高さということでしたね。正直、私には、文学的素養があまりないので、文学性については評価しにくいのですが、お二人がそうおっしゃるならそうなんでしょう。そのためには、優れた著者を発掘したり、原稿を吟味するノウハウがあるのではないでしょうか?

みのり:そうですね。それは一応、あると思ってます。

立花:なるほど。それは結構だと思います。

一方、低価格のほうは、もう少しよく考える必要があると思います。そもそも、なんで御社は電子書籍を低価格で売れるのでしょう?

みのり:えっ?

それは営業の人たちが、低価格にしないと売れないって言うからです…… 紙の本と違って、印刷代も製本代もいらないんだから、安くできるだろうって。本当は、電子書籍化する作業も必要だし、電子書店で売るために手数料がかかったり、思ったほど安くならないんですよ。それなのに営業の人たちはベテランが多くて声が大きいので、なかなかこちらの意見は通らないんですよ。

立花:ははは、確かに、どこの会社でもそういう社内の力関係の話は聞きますね。それはさておき、今伺ったところによると、御社は電子書籍を低価格で売る画期的なノウハウを持っているわけではなさそうですね。

野中:画期的なノウハウですか?

立花:たとえばですが、DTPデータを一瞬で電子書籍に変換できる独自のシステムを開発したとか、すごく安い印税で原稿を書いてくれる著者を確保しているとか、自社自身が電子書籍書店も運営していて販売手数料が不要だとか……。

みのり:そういうのは全くないです。

立花:だとすると、低価格を自社の強みにするのは、無理がありませんか?

野中:なるほど。

立花:一般に、業界のリーディングカンパニーは、規模を大きくすることで効率化をはかり、商品一つあたりのコストを下げます。規模の小さい会社では、それが真似できないので、価格勝負だとどうしても勝てません。リーディングカンパニーは量産が可能であるからこそ、低価格ということを強みにできるんです。これは価格に着目した場合の話ですが、一般的に、「これが自社の強みだ」と胸をはっていうためには、それを実現するための独自のリソースがないとだめなんです。

野中:独自のリソース……。

立花:先ほど申しましたような独自の変換システムとかですね。家電メーカーが特許を持っているとか、おいしさが強みのレストランに秘伝のレシピがあるとか……。おそらく、このお店の串揚げにも、パン粉とか油に秘密がありそうですね。

と言いながら、立花は、今あがったばかりの、エビのシソ巻の串をほおばった。 

野中:独自のリソースがないとどうなるんでしょう。

立花:そのような強みは、長続きしません。低価格にしようと思えば、電子書籍の値付けを変えればいいだけだから、簡単にできるでしょう。その結果、瞬間的に売上はあがるかもしれません。しかし、それだと赤字が増えるだけではありませんか?

野中:はい。そのうちギブアップしますね。

みのり:もっとも、うちの電子書籍は値下げしても、全然売れなかったんですけどね。

野中:……

立花:……

みのり:あっ、すみません。もう一つの文学性という強みは大丈夫そうですか?

立花:そちらの方が、可能性はあると思います。もう一回、強みと独自リソースの連動ということを念頭に考え直してみてはどうですか。

みのり:はい!

野中:もう一度じっくりやってみます。

立花:顧客に提供する価値や、強みと独自リソースの連動ってことを含めて、3Cのどこかの要素を見直すと、ほかのところに影響が出てくるから注意してくださいね。「独自リソースに裏打ちされた強みを活かして、競合よりも多くの価値を顧客に与える」というのが3C分析の全てと言ってもいいと思います。だから、強みが変わると、顧客に提供する価値もかわってくる。価値がかわってくると、従来顧客であった人は離れていってしまうかもしれない。逆に、今まで想定していなかった人が顧客になってくるかもしれない。3Cは「顧客は誰、競合は誰、自社の強みは何」って一通り考えるだけでは不十分なことが多いんです。何度も粘り強く考えて、各要素の整合性をはかることが非常に重要です。

みのり:へええ。

立花:このあたりのことは、弊社ホームページにも書いてありますから、良かったら読んでみて下さい。

野中:とても参考になりました。ありがとうございます。でも、せっかくお酒飲みに来たのに、すいません。

立花:いえいえ。じゃ、今度は私に教えて下さい。この辺のランチのお勧めの店とか、いろいろ。

みのりは、今日はたくさん飲もうかと思っていたが、セーブした。家につく頃にはアルコールもほぼ抜けていたので、シャワーを浴びたあと、立花のホームページを検索して、真剣に読み始めた。

つづく

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 ユアスト 江村さん

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第1話は下記より御覧ください。

【第1話】超時空社

 ユアスト 江村さん

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ポイント解説記事も以下よりご覧ください

3C分析の留意点(小説のポイント解説)